
ごみ屋敷を比較検討!
社会科学のI、Wは,現代の危機を500年続いた文明内部の危機であるとし,異文明間の摩擦や衝突説をとる学者を三流と断じるが,その彼ですら混迷の海から泳ぎつくべき対岸を指し示しえてはいない。
人間の織りなす綾(文)の学問として,そして大学最古の学部に冠せられた名称として,私はむしろ人文学に未来を見るのであって,もちろんそれは,文明の環境史的な洞察を基礎とすべきことはいうまでもない。
ならば環境学と人文学の違いから始めるべきなのだが,あまり厳格に考えないで,前者を後者の外囲としておけば十分である。
むしろ違いよりも共通項を網羅して整理することのほうが重要であろう。
水環境学の一分野である水文学は,水の流れなどの経路(綾)を扱う分野であり,特に日本では川の流れを人生に模して人文を記述する文学作品が多いことからもわかるように,人文学研究じたいの中で時代的な人間生活の環境観を読みぬく作業をすれば水環境人文学の姿が浮かびあがる。
『古事記』の一節にも川の浄化作用を阻害する人間行為が公害につながるという解釈ができる部分があるし, 人工河川を自然河川として認知させていく役割を小説がになう上述のような考察は環境人文学の小さな一例にすぎないが,環境学と人文学それぞれのさらに分科したdisciplineに従って分析を精級化し,より小さな体系を確立しようとする。
つまり,learnandlearnという研究スタイルをとる限り,inter,multi,trans-disciplineのどれもが成立しないことだけは自明である。
Learnandunlearnはこのことを表現した言葉で,S・Tの解説1)によれば,unlearnとはlearnしたことを捨てるのではなく,ていどの意味だという。
鶴見はさらにWallersteinの邦訳害『脱=社会科学』( H 書店)を引用し,何が一番新しいのかと結論だけを追ったlearn型の研究の読み方ではなく,learnandunlearnによって,著作の緊張的な格闘の跡を読み解くことの重要性を説く.これは従来の諸学に欠けていた研究スタイルである。
環境学の編成に際してもunthinkされるべき既存科学がthinkのまま環境になだれこみ,一種の汚染を起こしている,と私はみたいのである。
「文明」は「文化」から価値観を削除して人間・装置・制度をシステム化した表現であるが,「文明の環境史観」の研究は環境人文学よりもさらにむずかしい。
環境人文学では当面環境を表現する言語を中心に据えることができ,私じしんもすでに,「ごみの言語学一環境・エネルギー文化の下位性と言語の問題」なる試論を用意してはいるが,文明史の研究にはまだ手つかずである。
それは過去の科学史研究があまりにもpositivismの立場にたっていて,これを部分的にでもunlearnすることが困難さに通じる。
ひとつの切り口は,行政の功績ばかりに偏らないで,市民生活・技術・制度のシステム結合の変遷を歴史として記述しなおすことである。
もうひとつは,梅悼忠夫の『文明の生態史観』の向こうを張る必要はないが,彼には廃棄物側からみた環境の視点があまりないことに着眼して,過去〜現在の遊牧民の空間意識と将来の新遊牧民(neo-nomad)が環境を空間的にいかに廃物の拠榔対象とするかの観察を,技術のnegativismの記述として蓄積するのが有効だろう。
これが過去の文学作品から発掘できるかもしれないし,人文学じたいの様式にも影響を及ぼせば第1段階としては成功であろう。
経済学も含め,近代(自然)科学が体系化される過程では,現象ないしは構造の因果関係の斉一性と普遍性を追求するあまり雑のことわりを捨象し,無限Euclid時空間での問題の定式化を行うのが常套手段となった。
この場合の定式化とは数学的な方法だけを意味しないが,典型的には環境の質を規定する汚染物質の拡散係数*,さらにその他の実験室的には決定しがたいパラメタが用いられ,実際環境を速度場とした観測からパラメタを推定するという操作が行われる。
このような手続きにもとづく現象の認識過程は,たとえ純粋な自然現象を対象にしている場合であっても,ミクロ化するほど実験室的条件が優先して実際との示離が起こる可能性がある。
これは経済理論でも同じであろう。
このような因果関係がsoobservedと表現して,この“so”が上記の定式化とパラメタ推定と境界条件決定のすべての手続きを指すものとする。
最近の特筆すべき科学技術の進歩には観測技術があり,これには質的成分の分析ばかりでなく速度場決定の技術も含まれ,これも“so"の中に加えられる。
定式化の目的は,関係する環境因子の時空間的相互関係を分析して,よりよい環境状況への改善策を講じることにある。
しかしここで完全に無視されていることは,定式化過程の逆過程として広義のregulation問題が形式的にせよ解けるわけではないということである。
これを上記の“so"を使って表すと,notsoregulatedとなる。
たとえ望ましいパラメタ値があったとしても,これが実現できるかどうかは,順過程の“so''の操作の繰り返し試行しか手段がなく,やや飛躍をするが,無限規定として発展してきた科学と有限型要素を内包している技術とのgapをunlearnする必要性が見えてくる。
具体的には3つの方法がある。
第1は,ほとんどの分析技術が汚染物質分離の機能のミクロ的応用をしていることを逆用して,“soregulated”の状態をデザインすることである。
ただしこれには,表1の完全リサイクルで想定したのと同じように,きわめて高いコストがかかる。
第2は有限場じたいの表現技法の発見で,前節で述べた内容がほぼ妥当する。
これをいますぐ実行に移すには,やはり分析と計画・制御の違いをはっきりと理解して,分析者から分析結果の供給を受けながらも, ある時点から追加的な分析をするのをやめてsoに依存しない計画に転換することである。
この計画者の資質が現在では指導者に要求されるのだが,このような人材を養成する機能はいまの大学にも一般社会にも,ない。
そこで登場するのが第3の方法で,もっと間接的な意味の環境人文学的方法である。
そのヒントを「万人観光学者論」として次節で提示するが,その前々段階として,まず,人文分野(表現形式が具体的でunlearnに適した省察型/reHective)と自然科学・工学分野の属性の違いを理解しておく必要がある。
大学院教育の実態調査と因子分析法による2軸の妥当性の検証をへて,学術諸分野の位置づけをしたものである。
着眼は,人体の診断と治療を行う医学の重心が図のほぼ中央にあることと,現在曲がりなりにも環境を標傍している分野を連ねると医学と同心円的な広がりをみせることである。
通常の人文学は図の第1象限の右上にあってタコ壷化しているのだが,縦軸に関してこれと対称の第1I象限の位置は空白である。
“LeamingStyle”と名づけられたこの図をUnlearningStyle に変える、第1段階が省察・虚学型の人文学を第1I象限の空白域に移して実学・行動型にすることで,そのフロンテイアが「観光学」だと私は考える。
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